開拓者


高橋由一/山形美術館
チョンマゲ自画像の印象が強くて今まで漱石と同時代人だとは何故か考えなかったな。
随分昔に東博、随分遠くから視界に入って来た絵があって、それはコラージュのようで、ああ、奇矯な事をする人も明治にはいたんだなと思いながら近づけば、それはオイル・オン・キャンバスのオーソドックスな絵画。なのに貼付けたような違和感があるのはその細部の質感がリアルすぎるほどリアルで、こと甲冑の鉄のヌラッとした感じ、鎧の刺繍されてる絹糸の光沢、豹皮の前掛け、が薄気味悪いほど真に迫っている。対してその置かれてある畳はぺらっと処理してあって、はてその温度差は何?って感じ。または、司馬江漢。皮膚の皺、青く浮き出た血管、まるで腐乱した果実のようなパンパンの頭部に比べ、その黒目がちな眼は穿かれた穴ぼこ、迷い込んで来た銀蝿のよう。そのちぐはぐな感じ、繋がりを切断している居心地の悪い感じがコラージュっぽく見えた理由の一つ。ところが、今回、水墨画などもあって、その技量は申し分ない、というかもの凄いテクニシャン。当時の絵を習える階級とかってその教養なんてハンパない。油絵具という新しいメディアを使い、新しい話法で近代の私を描く。揺れ動き、倒錯した、精神分裂病のような時代の空気は近視眼的に表現するしかなかったのだろうかなと思う。夏目漱石が精神薄弱になったように。
であと面白かったのが東北道の普請を石版画にしたやつ。このあたりのトンネル工事も漱石の「坑夫」なんかに出てくるような「安さん」とか「赤タオル」とか居たんだろうなぁなんて思いながら。