虚実撹拌


ポール・オースター/幻影の書
数本の傑作喜劇映画を残し、その後、消息を断ち、歴史の中で忘却されていった天才監督。妻子を事故で亡くした男が自己救済を重ね合わせながら、その残された数少ない作品を掘り起こし、批評していく、ドキュメンタリーっぽいつくりで、その地の批評言語というか、文体は実に精巧で、その映像のコミカルな感じ、洒脱な演出がありありと目に浮かぶ。(途中まで実在するかと思ってた)
ところが、突如行方不明の監督からコンタクトがあり、物語は急速にドライブしていく。空白だった、監督の歴史、その記録を録り続けた撮影技師の娘、狂気に犯された内縁の妻。登場人物は、皆、幽霊のように(技師の娘は顔に痣があり(お岩さん)、妻は1枚〜、2枚〜、と暖炉で原稿(空白を埋めた記録=アリバイ)を燃やし、“無かったこと”にする。または作中作「マーティン・フロストの内なる生」の透明人間=実在するのにだれにも認識されない、現れたかと思うとまた消える。見える(目を凝らす)者にだけ現れ、見えない(見ようとしない)者には不可視。回路は開かれたり、閉じたり、間欠的。
訳者あとがきに当の「マーティン・フロストの内なる生“The Inner Life of Martin Frost”」は、アメリカで映像化されたと書かれていて、となると、小説の中の出来事(映画)が一足飛びに現実のものとしての作品になり、虚から出た実、地と図が入れ替わるというか、入れ子状に包まれていた物語(マトリョーショカ)の外側の膜が破れ、内側の物語が外部に浸出するけど、よくみたらその世界もより大きな物語の膜に包まれているって感じ?みたいな。もう何がリアルで何がフェイクなんだか。そもそもポール・オースターは存在しているのか?