変わらない人


にがい再会/「夜消える」藤沢周平
新之助はいわゆるぼんぼん、商家の跡継ぎとして大事に育てられる。恋心を抱く幼馴染みの女の子おこまの家が破産、借金取りが来ていると聞いて、救出する為、男気を見せる為駆けつけるが、ヤクザに凄まれ、「その女の人は私は知らない。私とは関係がない」と答えて踵を返す。ニワトリが鳴く前にキリストを知らないと答えたペテロように。おこまは岡場所へ借金のかたとして売られて行くのを遠まきに眺めながら、己の甲斐性なしを様々な理屈をつけながら正当化しようと試みる。
時は過ぎて商家を継ぎ、何不自由なく暮らしているが、おこまが任期があけて近所へ帰ってきたが体調すぐれず療養しているとの噂を知り、後ろめたさを抱えながらも幼馴染みのよしみで心配していると、その家に見舞いがてら遊びに行く。
昔と変わらず、けれどその色町で生きてきた妖艶さが加味されてすっかりのぼせあがる。もう妾にしたいくらいに。
何度かお茶を飲みにいくようになると、ある日唐突、三十両を貸して欲しいと頼まれる。その額は決して大金というわけではないけれども小遣いで賄える自由になる金額ではない。あの日の新之助の忸怩たる裏切りを、屈辱的な行動を「若かったからしょうがないし、そもそも言われるまで忘れていた些細な事」と一笑に付してくれたおこまのその期待に今度は必ず答えたい、義理人情に厚いキップの良い若旦那と思われたい、と快諾したのだが、その夜、けれども、金の無心が一度で済むとは限らないし、そもそもからしていかがわしい商売をしてきた女であるから背後にどんな男が潜んでいるのか見当もつかない、と例の怯え、自己の保身を優先させる癖が再燃し、結局一度は包んだ金をほどき、五両を懐に入れておこまの家に向かう。
「うちの商売も外から見れば華やかでも、裏にまわれば火の車で、お前の希望通りの金はどうしても準備出来なかったが、せめてこれだけ気持ちとして受け取って欲しい。」と弁解しながら渡す。
おこまは哀しそうに笑い出し、怪訝に思って理由を尋ねると、おそらく頼んだ金は全額ではなく1/6くらいしか持って来ないだろう、で、おそらくくどくどこういう言い訳をするだろうと想像してた通りを寸分違わず振る舞ったの可笑しくなったとのこと。微笑みながら、もし全額持ってくるようなら今後の身のふりを考えよう、岡場所の女郎上がりの身分の女でももしかしたらという多少の期待もあったが、やはり本人が思っている自己評価以上にあなたは昔と変わらないことが証明されてスッキリした、現状あるていどの額を貯めてから足を洗ったので金に不自由はしていない、もう金輪際お互い会わない方が良いでしょう。
つまりは平時には調子が良いが、いざという時には怯懦し何も出来ない上、言い訳を重ねて自己正当化を図るという己の本質を看破され、傷心し、泥酔し、通行人に喧嘩を売り、コテンパンに叩きのめされる。

主人公が失敗を糧に大きく成長するでもなく、正義の為、義憤の為、悪鬼剣豪との死闘もない。戒める教訓もない。新之助はこれから新たに上書きされた恥辱を抱えて生きて行くが決して跳躍しないだろう。
だから藤沢文学の中でこの小説が一番好き。