新しい人たち


武蔵野美大側から

境界線上

朝鮮大学側から

武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」展
武蔵野美術大学と隣接する朝鮮大学の間にある壁に両側から橋をかけるという展覧会というかプロジェクトを見に(経験しに)行く。展示というより事件だと感じる。鳥肌が立つ。
配られていた記録集を読むと、色々あったけどお互い仲良くなりました的な瀰漫的交流展の空気と一線を画する強度、深度を持っていて、素晴らしい、と皮相的な感想しか頭に浮かばなかった自分は深く恥じ入る。またこのような時代、大学側から、外の社会(?)側から有形無形の圧力があったらしく、そのような現実に直面し打ちのめされても押し開いていった。
「彼女たちは困難な蜘蛛の張り巡らせた糸の間をいとも華麗にかいくぐる蝶のようだった」的な感じのテキストを朝鮮大学の先生が寄せていて、確かに、まさにそんな感じ。
メディアへのアプローチも、インターネットからの発信も、制作費を企業から助成を受けるところも、したたかに現代のツールを最大限有効に活用している事にも「今」を感じる。
しみじみ心を奪われたのは双方の女学生が壁を挟んでお互いの姿が見えないままバレーボールして遊ぶ映像作品で、嬌声をあげながら屈託無くゲームに興じる姿を眺めるうち、ふと「遠い未来の僕たちの子供たち」というヴィジョンが思い浮かんできて、すると「イマジン」が頭の中で流れ始め、なんかもう、目頭が熱くなる。
新しい時代の新しい感性の若者が覚醒してるんだ、と古い時代の古い感性の自分は嬉しく眩しく誇らしく思う。自分は90年代半ばから2000年代にかけて武蔵野美大に在学していて、当時は朝鮮大学に対してはアンタッチャブルな空気が支配し、またそれを受け入れていた。