食いちぎられた月


母なる証明ポン・ジュノ監督。知的障がいがある成人した息子と2人で暮らす決して裕福ではない母親、モグリの鍼灸で糊口を凌いでいる。その世界は閉じられ互いに依存しつつ平穏な小宇宙を形成している。
ところが、息子はふとした事から女子高校生殺害の容疑がかけられ、無能な警察、怠惰な弁護士により有罪に仕立てあげられる。母親は、イノセントな彼を信じ、無実を証明する為、その背景を1人単独で調べ、いるであろう真犯人を探し始める。
ところが事件の複雑な背景を解き明かす過程で現れた最も有力な目撃者、浮浪者然とした老人の口から発せられた事実は、それは紛れもなく息子の犯行であったということ。記憶を留める事が出来ない息子は、その顛末がすっぽりと抜け落ち、自分はやっていないと信じ続けている。
思いもよらない事実を告げられ動転した母は、あろうことかその老人を背後から鈍器で撲殺し、家屋に火を放ち証拠隠滅をはかる。
後日、警察から真犯人が捕まったと連絡が来る。
容疑者は奇しくも知的障がい者で、身寄りもない天涯孤独の青年。面会に行った母は、息子の罪を肩代わりしてくれる贖罪の羊の出現に後ろめたくも感謝し、冤罪に加担する。
無事、釈放された息子と日常生活に戻る母。しかし彼女には、幾重にも重ねた罪やこれから一生抱えていかざるを得ない秘密が重くのしかかり、当然気持ちは晴れない。また、全てを看破したような息子の透明な視線がそれに追い打ちかける。うちのめされ、耐えきれず、それを、彼女の得意とする鍼灸の「記憶を消し去るツボ」に鍼をうち、遂にはその闇から解放され、奇妙な安堵感に全身をひたして朗らかな気持ちで踊りの輪の中に入っていく。

何だか、え〜!って話。てっきり母が、村落共同体に残る、障がい者、母子家庭、貧困に向けられる差別や偏見に抗いながら、腐敗した国家権力に単独で立ち向かい、遂に無実の証拠を掴む動のフィナーレ、母は母なることを無償の愛情で証明された、と思っていたから。
けれど、後半描かれる母親は、息子を独占し、管理し、支配下に置くことを強く望む。また放尿(性器)シーンを覗いたり、同衾したり、そこには官能的な気配が匂い立つ。でも、多分、そういうものだろう。聖母などそもそも虚構で、作られた物語、ここでは永遠の女性性を下へ下へ引きずり下ろす。
見終わってしばらく経ってもじわじわくる。指先がずっと痺れるような感じ。