厳しい騒擾


少年は残酷な弓を射る
きっつい映画。いわゆる成功した裕福な夫婦の元に産まれた赤ちゃんは男の子、何故かものごころつくまえから、母親だけを憎み、蔑み、純然たる嫌がらせをし続ける。
高校生になった彼は、猟奇的な無差別大量殺人を犯し、母親へ嫌がらせの最終的決定打(夫・娘は息子に殺害され、遺族、近隣住民からは、突然殴りかけられたり、家や車にペンキをぶっかけられたりなど村八分的仕打ちにあい、また、自らの能力以下の事務仕事を余儀なくされた上、そこの同僚からも悪意をぶつけられ、まったくの四面楚歌、孤立無援、希望を根こそぎ毟りとり、打ちひしがらせる。)を放つ。
彼の内面がまったく描かれず、不可解さ、不気味さはとりつくしまもない。なのでこちらに重くのしかかる。例えば、精神病、あるいは薬物による失調、家庭の不和や貧困など環境に起因する、もしくは特定の思想に感化されるなどあれば、事件の動機付けとして理解は出来ないまでも納得できる。安心できる。けれど、監督はそれを許さない。何故なら世界はそういうものだから。

面会に来た母親に、何故事件を起こしたのか?と問われた彼は、「分かっているつもりだった。でも今は違う」と答える。
母親は真っ白な外に向けて歩く。
なんか先日見た「母親の証明」と一緒で、どうしようもないやるせなさが後を引く。