私たちは悪い人間じゃない、悪い場所に居ただけ。


シェイム」監督スティーヴ・マックィーン
トラウマとは、本来、言語化できない、意識化できないものであって、本人があったことすら恐ろしくて向き合うことができないほど、だから無意識に無意識の下に沈潜させ、重い蓋をかぶせて封印してしまうもの、というようなことをどこか遠くで読んだ気がしてそれがどこだかは思い出せない。深く沈み込んでいる。
兄妹の間に横たわる「シェイム」(おそらくおぞましい過去に起因する)は、最後まで明らかにされない。だからといってそれが語るに足りない瑣末な出来事、過小な事故(事件)だったかといえば、そうではなく、兄の仇を討つような悲壮感あふれるセックス依存症や、意中の女性とのプラトニックなデートでの決定的な場面での噛み合わない会話(価値観)、妹のドロドロの恋愛中毒、自殺未遂症、クラブで歌った「ニューヨーク、ニューヨーク」の訴えかけるような歌唱が最大限の忌わしさを証明している。浮かび上がりたい、快復したいのに、無意識に、いつもソレが纏わりつき、絡みとられ、身動き出来なくして沈めようとする。
「もし生まれ変われるとしたら、何になりたい?僕は60年代のロックミュージシャン」
「いいえ、私はギミーシェルター観たけど、その時代は地獄よ。私は、今がいい」
「えっ‼︎ 冗談だろ?」