天仰ぐ


旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」阿刀田高。日曜学校でならったおぼろげな記憶が輪郭をもつようになって楽しい。その中で思わずおおって膝を叩いたのはキリストの復活してからのくだり。聖書では弟子たちは復活したキリストに出会っても最初誰も気がつかない。手のひらの傷痕を見てからようやく気がつく始末。幼少の自分は、復活したから似て非なるものになったからなのかな、つまり精霊的な感じで姿顔もなんとなく茫洋としてんのかな、とか思っていた。長じてからは死んだキリストに出会ったというのもひとつのメタファーで、弟子たちの内面で信仰のかたちとして復活した為、最初は気がつかなかった的な感じなのかな、とか思っていた。
ところが阿刀田は、何者かがイエスになり変わったのではないかと推測する。でなければ、長い間共にいた弟子たちが一目会って気がつかないわけがないだろう、不自然だろうって。キリストはどうしても復活する必要があったため、ヨセフ他が先回りして墓から死体を運び出し、別人に復活したイエス役を演じてもらったのではないか。言われれば確かに確かに。今まで考えたこともなかった。
他にも、ゲッセマネの丘で一人祈っている最中、弟子たちが3度も寝るなんて、これ睡眠導入剤一服盛られたんじゃないかとか、面白おかしく妄想的解釈を広げてあって、しかしそのいずれも説得力もあり小説家の想像力、推理力に感嘆する。