射程


証言 水俣病/栗原 彬 (岩波新書

いろいろな方の生の声。
で、一番驚いたのが最後の緒方正人氏。自分は心の中で、水俣病を国家ぐるみの公害であったり差別であったり虐げられた人々という皮相的な部分しか捉えていなかったと思う。ところが氏は、闘病の、闘争の現場から言葉を祈り出し、自己審問しながら思想として鍛え上げていく。「私たちはまさに今、チッソ的な社会の中にいると思うんです。ですから水俣病に限定すればチッソという会社に責任がありますけれども、時代の中ではすでに私たちも『もう一人のチッソ』なのです。『近代化』とか『豊かさ』を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱して行くのかということが、大きな問いとしてあるように思います。」、(1996年8月、水俣から東京まで打瀬舟「日月丸」に乗って海路を走るのは)「水俣病事件史の中で亡くなった人、あるいは魚、猫、鳥、傷つき倒され殺されていったそういう命の問いかけていることは、亡くなった人の救いということだけではなくて、実は生きている私たちにかけられた願いだと思うわけです。そして水俣病事件が私に問いかけていることは、決して制度化されない魂のゆくえ、そこにどう自らが歩み行くのかということだろうと思っています。」、「(国などの)『システム社会』に魂が閉じ込められ制度化された患者として存在するのではなくて、生きた魂としてもう一度、不知火海に帰る、水俣に帰る。そういう意味では、現象の上で戦い敗れてもいいじゃないかと、魂を持って帰るということこそ大事だと思います。(…)そしてわたしは、チッソや行政の人たち、あるいは水俣病被害者が拡がっていく当時、特にチッソ擁護に加担したといわれる人たちを含めて、ともに救われたいと思います」
比べてインターネット上に散見される(自分も含めての)言葉のなんと軽く薄っぺく、射程の短いことか。