返照


「扉をたたくひと」(原題:The Visitor)
監督トム・マッカーシー
風采の上がらない大学教授ウォルターがニューヨークに自身が所有しているアパートに久しぶりに行くと、そこには見ず知らずの若い移民カップル、タレク(シリア出身)ゼイナブ(セネガル出身)が住んでいる。聞けば、不動産屋に騙されて入居したみたいで、彼らにはまったく悪意はなくまた落ち度もないことが分かる。一度は叩き出したものの不憫に思い、新しい住居が見つかるまでしばらくはそのアパートに滞在することを許可する。その日から不思議な関係の生活が始まる。
心を閉ざして生きてきたウォルターは、次第にタレクのチャーミングな人間的魅力によって感化され、氷解し、また彼からジェンベ(ドラム)を習い始めることで、少しずつ新しい生き方に出会い、渋顏から笑顔を取り戻し始める。
ところが、ふとしたことでタレクの不法滞在が露見し、拘束される。新たな生を生き直し始めたウォルターは、今までなら決してしなかったろう行動へと移る。弁護士を雇い、大学を休職までして同じく不法滞在のせいで表に出られない恋人ゼイナブの代わりに毎日移民局へ出向き面会し、タレクの不安、焦燥を和らげようと奮闘する。その日々の中で亡命中のタレクの母親モーナにも出会うが、そこでお互いの中に同じような孤独の深淵を見つけ、共感、共振する。
けれど、大方の予想を裏切り、通常より早いスピードでタレクはある日突然強制送還されてしまう。母親モーナは、もう二度と国外に出られなくなる事を承知の上息子を追ってシリアへの飛行機に乗る。
モーナと結婚すればいいのに。良い感じだったのに。そうすれば、不法滞在とかはクリアできたのでは、あるいは無能な弁護士ではなく、もっと有能な弁護士に切り変えれば新たな局面を迎えることができたのでは、とか、また大学教授で25年間、ニューヨークのアパートを維持できるだけの財力はあったのだから、人脈を辿って、議員に働きかけるとか、毎日、愚直に面会に行くのではなく、もっと有効な手立て戦略があったのではとか思う。
でも、それは本人が一番解っていて、だから、最後の地下鉄のシーンの怒りのドラミングの半分は、自身に向けている。最愛の友人と、心を開きかけた女性を一度に失った喪失感と悔恨。そしてもう半分は、扉をたたく人(移民や不法滞在者)を恐怖の眼差しでみつめ悪とみなし、生まれも育ちもアメリカであっても書類の不備だけで断罪する狭量な制度、亡命者へも斟酌ない措置をとる国家や、無関心をよそおい、背景にある事情情勢を忖度しない内向き志向で不寛容な共同体に向けて。
ただ、移民に関しては、恥ずかしいが現状のリアリティーはよくわからない。日本は移民排斥国だから。もしかすると、彼のとった行動は正しかったのかもしれない。